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鎌倉室町時代

特徴

さらに発展する建築内部空間

中世を通じて建築空間が大きく変化していきました。これまでは、建築のプランが、構造的な制約から単純な矩形をしていましたが、内部の要求にしたがって自由に展開するようになりました。

その最も早い表れは、禅宗仏堂の脇壇や腰かけの突出などに見られます。寺院の背面にも、内陣が突出しているものがあります。一般住宅では床・棚・書院などが突出するような形で自由な平面構成がなされるようになりました。

書院造り

室町中期からおこり桃山時代に完成した、武家住宅建築の様式です。今日のいわゆる「和風住宅」といわれる様式の原形と言えます。接客空間が独立し、立派につくられているのが特徴です。

15世紀末に書院が形成され、畳が敷き詰められると、畳の数が空間規模の表現となりました。一間が定量化され、以前に「間」と呼んでいた空間を、そこに敷く畳の数で「何畳敷き」というようになりました。そして、座敷という空間も生まれました。主座敷を上段とし、床・棚・付書院が設けられています。畳を敷きつめ、舞良戸・明障子・襖を用いています。

寝殿造りと比較すると、さまざまな役割を担った大広間様式から、内部を大小いくつもの室に仕切り、用途に合わせた機能的な構成となったと言えます。間仕切りの必要性から、柱は丸柱かではなく、角柱が用いられるようになりました。さらに、これまで母屋(身屋)と廂の柱間寸法には、大小がありましたが、畳の普及に伴い次第に柱間一間は6.5尺に統一されていきました。

建具については、腰高明障子や舞良戸そして襖障子などが多く使用されています。この時代には一間四方(二畳)を一間といい、六間[むま]といえば畳十二畳の部屋を意味しました。 主室(座敷)の構成は、正面に床と違棚を設け、縁側寄りに付書院または平書院を設け、反対側に帳台構を造る、といったものでした。建具はほとんど引き違いで、室内の間仕切りは、襖障子が使用さました。縁側回りは三本溝の敷居にし、舞良戸の内側に明障子か腰高障子が1枚はめられました。また、長押を室内に回し、彫刻欄間などを設けていました。

室町時代の中期頃から畳が急速に普及し始め、書院(書院造りの座敷、又は居間兼書斎)などの小室には畳を敷きつめるようになりましたが、会所などの大広間では、周囲に畳を追回しに敷いて、中央には板敷が残っていました。

代表例

慈照寺東求堂

慈照寺[じしょうじ]
京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院です。
通称は、銀閣寺。
創立者は、室町幕府8代将軍の足利義政です。

東求堂[どうぐどう]は、初期の書院造りを代表するものです。
足利義政の持仏堂で、1486年の建立です。池に面して建てられ、大きさは三間半四方。
方二間の仏間、義政の書斎(同仁斎とよばれる)があります。
書斎の北側に設けられた付書院と違棚は、現存最古の座敷飾りの遺構であり、書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な遺構となっていいます。

園城寺の光浄院客殿

園城寺[おんじょうじ]
滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。創立者は大友与多王です。
一般には三井寺[みいでら]として知られています。

光浄院客殿は室町時代、山岡氏によって建立されました。
一之間の付書院が広縁に張り出す平面構成となっており、伝統的な形式の中に新しい要素を取り入れたものとされています。

一之間、二之間には狩野光信を中心とする狩野一門によって描かれた、障壁画が残されています。
桃山時代における、書院の代表的建築です。

建具

桟唐戸の伝来

鎌倉時代に入ると、遣唐使を廃止して以来途絶えていた大陸との交流が開始され、
宋宋との交易が盛んになりました。
それにより、建築の分野でも新しい様式や技術がもたらされました。

大陸様式の寺院建築に、新しい建具技術として桟唐戸が用いられました。
桟唐戸とは、四周の框[かまち]と縦横の数本の桟を組み、桟と框の間に入子板を嵌め込んだ扉のことです。

従来の板桟戸は分厚い板を数枚並べて框の枠を付け、裏桟に釘止めしたものでした。
しかし、桟唐戸は、 和様の板桟戸に比較して、格段に軽いものでした。
そのため日本でも、頻繁に和様の寺院建築にも採用されはじめ、さまざまな建築の扉の意匠に大きな影響を与えました。

杉障子の誕生

寺院建築で用いられた桟唐戸の技術を、住宅建築にも応用させたものです。
明かり障子は、下半分が雨があたりやすいため、その部分に板を張った腰高障子というものが考案されるようになりました。

杉障子は、下半分を舞良戸仕立てにした、腰高障子が二枚引き違いに建てられています。
絵を描き、壁の代用にも用いられていました。
室礼としての襖障子の延長とも考えられますが、主に縁側と部屋との仕切りや縁上の仕切りにに使用され、
また出窓形式の書院の窓にも使用されていました。

杉障子の現存する最古のものは、兵庫県の鶴林寺本堂創建当時のもので、室町時代初期頃のものです。

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