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奈良飛鳥時代

特徴

この時代の人々にとって、建築の内部空間というものはあまり重要ではありませんでした。そのため、人間の空間と神の空間さえも分けることをしていませんでした。空間的な関心より、実態的なものに興味を持っていたのです。実体に対する関心の積極的な表現として、「柱」が挙げられます。当時、人々は柱に執着したようです。

柱に対する関心の表れ

寺院などでは建物とは別に独立柱を立て、それを信仰や呪術の対象としました。建物を支える柱にも、象徴的意義を与えました。人間や神を数えるときに、「○柱」と数えたという例もあり、人々が「柱」という実体に興味をます。

建築空間のとらえ方

この時代の建築空間のとらえ方の特徴は、一構えの郡建築のうち主たる建築が、その建物の主体の専有空間である、ということです。つまり、寺院ならば、塔・金堂は仏の専有空間。宮殿ならば、大極殿は天皇の専有空間。住宅ならば、寝殿は主人の専有空間。神社ならば、本殿は神の専有空間でした。一棟一室の建物で、建物に他の人が入ってくることを想定していませんでした。建物のプランは、対象性が強く、全体として立体的な厚みをもっていました。建物は、外部空間に孤立するような傾向を示します。

彫塑的性質

この時代の建築の全般的な性格は、「彫塑的」と言えます。大陸文化輸入後、比較的早い時期に、新しい目的を持つ新しい形式の建築がぞくぞく建てられました。特に寺院や宮殿では、多くの建物が一群として組織的に配置されています。さらに、これが計画的に営まれた都市の中に組み込まれ、全体として整然たる秩序を持つ外部空間が構成されました。このような特徴は、「彫塑的」と言えます。寺院や宮殿などの大陸伝来の建築だけでなく、神社や住宅も同じような性質を持っていました。

寺院建築

寺院建築の特徴をおさえておきましょう。

  1. 塔と金堂は、「主体の専有空間」だった。
  2. 塔と金堂は、巨大な厨子としての性質を備えていた。
  3. 全体として彫塑的な性質をもつ。
  4. 建築のプランは対象性が強い。
  5. 外部空間に孤立するような傾向を示す(方形プラン、円形プラン)。
  6. 主体の占有性は、回廊に囲われた空間(外部)にまで及ぶ。
  7. 回廊は客体のための通路ではなく、主体の専有空間と外部空間とを切り離す垣根であった。
  8. 回廊内部において主体(仏)と客体(人間)が交渉することは稀であった。
  9. 中門は単に通過するための門ではなく、唯一主体と客体の交渉の場であった。

寺院建築の代表例

法隆寺金堂

現存する最古の金堂です。正方形に近い平面構成をしています。母屋いっぱいに基壇が築かれ、その周囲を一定幅のスペースがめぐっています。建物の内外ともに、対称性が強く、二重の基壇や柱の配置により、外界との絶縁性が強調されています。

法隆寺
607年、聖徳太子と推古天皇によって建立されました。斑鳩[いるか]寺とも呼ばれています。飛鳥時代の姿を現在に伝える、世界最古の木造建築物です。塔・金堂を中心とした西院と夢殿を中心とした東院伽藍に分けられます。
法隆寺金堂の建具
金堂の中の扉は、現存する最古の扉です。当初の扉は、高さ3m幅約1m厚さ約10cmの、桧[ひのき]の節なしの一枚板でした。金堂よりおくれて、奈良時代に建立された金堂裳階の四面の扉は現存しています。一枚板で、高さ2.7m幅1m厚さ約8.5cmの大きさで、下部に唄ばい金銅の飾り金具を打ち上部に連子窓を設けています。この連子窓の九本の連子は、一枚板から彫りだしたものです。

唐招提寺金堂

8世紀末頃の建築と推定。間口7間、奥行4間寄棟造のどっしりした建物です。堂内での礼拝儀式などを全く予想しない設計となっており、空間内部が仏の専有空間である、と言えます。堂全体が仏の厨子となっています。

唐招提寺
759年創建。鑑真が右京五条二坊の地に律宗の道場を創建したのに始まりました。
唐招提寺金堂の建具
金堂の扉は、幅の狭い板を五枚縦に並べて、裏桟に釘どめした板桟戸構造。扉の表面に出た釘頭を隠す為に、饅頭型の木製漆塗りの飾りを付けています。扉全体の変形を防止するため金銅八双金具(装飾と補強を兼ねた建築金具の一種)を、取り付けています。

住宅

天皇の平常の居殿も一般の住宅も寺院建築同様、建物(寝殿)が主人の専有空間でした。奈良時代の住宅の一部で現存するものは、法隆寺の東院伝法堂です。

代表例

東院伝法堂

伝法堂は、仏堂にするため一部改造されていますが、板敷を除けば当時の寺院建築にみられるような、唐の強い影響を受けた建築構造です。伝法堂の前身建物は妻入り(屋根の妻側を正面とする)です。平面構造は、桁行(奥行)三間、梁行(幅)四間の壁と扉で閉ざされた主室部分と、桁行二間梁行四間の開放的部分とそれにつづく広い簀子(すのこ)敷から構成されています。空間を間仕切るものとしては壁と扉しかなく、内部間仕切りのない、広間様式の建築構造です。当時の建築としては珍しく、柱に礎石を用いています。
これらの建物は梁行二間の母屋(もや:主構造が柱と屋根の屋)だけで作られていいます。廂[ひさし]がまだ発達していない簡素な様式です。

妻戸
寝殿造り建物の四隅にある、外側に開く両開きの板戸。内側に掛金があり、錠の役目を果たす。ここから出入りした。
広間様式の建築
内部間仕切りのない様式の建築。この時代までは開口部を作る独自の技術がありませんでした。したがって、唐様式の扉しかなく、内部空間を仕切る建具がなかったのが、奈良時代の建築の特徴といます。
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