伝統建築
伝統的工匠
伝統建築 > 伝統的工匠 > 屋根葺師
屋根葺師

屋根葺師

屋根葺師とは、屋根を葺く人のことで、屋根の種類により、専門分野に分かれる。
屋根を葺くための専門的技術を持った人のこと。

for English
目次
茅葺師
板葺き師
檜皮葺師
瓦葺師

現代の瓦葺師

老舗 瓦店

茅葺師

茅葺師

現在、茅葺き屋根が存在する地域において、茅葺き替え技術を持っている人が中心に葺き変えが行われています。
茅葺き屋根は、最後にハサミで形を整える事から、『刈り屋根→刈屋→カヤ』となったという説もあります。
材料となる「茅」、しかし、茅という植物は存在しません。
茅とは、「ススキ、チガヤ、スゲなど」の総称です。
茅を育てておく場所を茅場といいます。
茅は、何年も貯蔵して貯えた茅は、乾燥して、折れ易く、しなやかさが失われます。
これを防ぎ、しなやかさを失せさせないため、冬本番前に刈り取ります。
茅葺き屋根の材料は身近にあり、一度、屋根を葺くと20-30年ほど保つことができます。
1950年頃まで、日本各地に多く残っていました。

茅の歴史

縄文時代

茅葺は世界各地でもっとも原初的な屋根とされ、日本でも縄文時代には茅を用いた屋根だけの住居が
作られていたと考えられている。

弥生時代

弥生時代以前の遺跡(登呂遺跡など)で復元される竪穴式住居などの屋根は通常茅葺とされる。
竪穴式住居の茅はススキの別名であるが、チガヤなどの総称でもある。

 

板葺き師

板葺き師・こけら葺き師

わが国固有の屋根葺き工法であり、鎌倉時代中期以前の屋根工法は、板葺きが主流でした。
こけら葺とは、屋根葺工法で、木材の薄板を用いて施工する。
板葺(いたぶき)の代名詞にも使われる。
板材を使用して屋根葺き技術や材料製作技術を持った人を、板葺き師、こけら葺き師という。
檜皮葺き師、柿葺き師は全国に100余人。

板材の種類

「こけら」は「こけらおとし」の「こけら」同様、木片・木屑の意味。
こけら板とは、最も薄い板で、板厚は2〜3ミリメートル、大きさ30cm×9cm位で、こけら板の材料はスギ、サワラ、ヒノキなどの筋目がよく通って削ぎやすく、水に強い材木で、赤み部分が使用されています。

こけら葺

木賊葺(とくさぶき)

こけら板よりも厚い板(木賊板)、板厚は4〜7ミリメートルを用いる。
トクサ(木賊)が板材ではない。

栩葺(とちぶき)

こけら板よりも厚い板(木賊板)、板厚は4〜7ミリメートルを用いる。
トクサ(木賊)が板材ではない。

大和葺(やまとぶき)

法隆寺金堂の裳階だけに見られる厚い木片を互い違いに重ねた板屋根のこと。

板葺の歴史

板葺の歴史は茅葺に次いで古い。

古墳時代

古墳時代から屋根材として使用されはじめたと思われる。
法隆寺五重塔の屋根にも使用されている。

平安時代

平安時代初期には、道具の進化もあり、より薄い板を用いる手法が開発され、最も薄い板を用いるこけら葺が使用されはじめる。

江戸時代

江戸時代までは栩葺・木賊葺も社寺建築に使用されていたが、板が厚く直線に近い屋根しか葺くことができないことから、薄板で自在性が高いこけら葺へと次第に移っていった。

 

檜皮葺き師

檜皮(ひわだ)葺き師

檜皮(ひわだ)葺きや柿(こけら)葺きは、わが国固有の屋根葺き工法として社仏建築に多く用いられてきた。
檜皮葺(ひわだぶき)とは、屋根葺手法の一つで、ヒノキの樹皮を用いて施工する。
日本古来から伝わる伝統的手法で、世界に類を見ない日本独自の屋根工法である。
多くの文化財の屋根で檜皮葺を見ることができる。
檜皮葺きの建築物は、全国に2000棟以上現存しており、そのうちの712棟が国宝、重要文化財に指定されている。
檜皮葺き師、柿葺き師は全国に100余人。

原皮師

檜皮葺きの材料を採取する人。
現在、原皮師は全国に20人ほどしかいない。
樹齢70年以上の充分な樹径のあるヒノキの立ち木から剥いた皮を成型した檜皮を用いる。
檜皮採取の職人を原皮師(もとかわし)と呼ぶ。

檜皮葺の歴史

奈良時代

668年に崇福寺(廃寺)諸堂が檜皮で葺かれていた記録が最古の事例。
奈良時代には平城宮の建物にも檜皮葺が多く用いられていたと伝えられる。
主要な建物が瓦葺だったのに対し、檜皮葺は付属的な建物の屋根に用いられた。

平安時代

その後、こけら葺・茅葺・瓦葺など屋根葺工法の中で最も格式の高い技法として、貴族の住居や寺社仏閣に使用されるようになった。
現在残る技法は、平安時代以降のものと考えられている。

 

瓦屋根葺き師

瓦屋根葺き師

瓦は、奈良時代およそ六世紀の末に、仏教建築と共に伝えられた。
古代寺院の建築にあたっては大工が、その他の仕事と共に瓦造りも行った。
この時代の瓦は本葺瓦(工法)といいます。
その後1674年(延宝2年)三井寺の西村半兵衛が、現在の瓦の元となる桟瓦の発明をしました。
西村半兵衛が、瓦屋根葺き師の始まりと言えます。
本葺瓦での重量が建物にかなりの影響を与えることを考え、軽量化を願ってこの工法を発明しました。
その後、改良に改良を重ねて現在の和型瓦となりました。

瓦葺の歴史

奈良時代

大陸から伝わった陶器製の本瓦(平・丸瓦を組み合わせるもの)を用いた本瓦葺が主流で、寺院の屋根に使われてきた。

安土桃山時代

安土桃山時代以降は城、大名屋敷、土蔵に使われた。

江戸時代

1720年(享保5年)幕府の政令により防火構造として、土蔵造り、塗屋、瓦屋根の普及がなされ、民家に導入された。
1792年(寛政4年)政令により焼跡には瓦屋根以外の建物を建てることを禁じています。
茅葺屋根などに比べ耐水性・耐火性に優れるため、梅雨があり台風の多い日本で定着した。

 
広告